アニメの世界では、デフォルメされた未来が描かれている。
デフォルメするってことは、非現実性と現実性とのメリハリをつけるってこと。 そういう視点で最近のSFアニメを、また子供向けの作品をみているとあることに気づいた。 たとえば、ポケモン。以前から子供が一生懸命みているのを横目で見ていて思っていたが、最近の映画を子供と見に行って改めて気づいたのは、人間以外の出てくる動物が全てポケモンなんだ。普通の犬や猫、鳥なんてどこにも出てこない。ポケモンそのものは人工的なキメラ(合成動物)なんだよね。 一方で、これは大人向けだけど攻殻機動隊の最近の映画のイノセンスを見ていて思ったのは、この作品の世界では電脳につながらない人間が存在しないかのよう。程度の差はあれ人間は全員サイボーグ化(擬態化)していて、動物だけが生身である。 僕が子供のころ、キメラというとレオポン(ライオンと豹のあいの子)を思い出す。そしてサイボーグというと「サイボーグ009」と「キャシャーン」かなあ。いずれも子供ながら知的には魅力的な存在である反面、物悲しい、なんとなく暗いイメージがつきまとっていた。いつの間にか、キメラはポケモンと名をかえてあっけらかんと子供の常識にしみ込み、サイボーグは擬態化とよばれて僕らの世代にも否定しようのない近未来の世界になっているように思う。そこでは以前のネガティブなイメージは限りなく希薄化されている。最近の映画のキャシャーンは、よくできた作品だったけど人造人間であることの「業」とか「哀しみ」は伝わってこなかった。 アニメの教育効果を云々いうつもりはサラサラない。たぶんつくっている人たちもそういう意識はないはず。単に作品のなかで非現実性と現実性とのメリハリをつけただけなのだろう。そして、人間の想像力と創造力はデフォルメした際の非現実性を消化し、いずれ現実へと変えていく。漠然とそんなことを最近考えている。
by haruyamablog
| 2004-08-29 17:24
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春山祥一 プロフィール
銀行員を12年やって2002年にITベンチャーに転職しました。
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