今井先生を国立キャンパスに迎えるにあたって

いよいよ明後日18日が一橋IT経営研究会の拡大会である。今井賢一先生の講演会と懇親会が予定されていて、平日の午後にもかかわらず、50名を超えるOB・OGはじめ社会人が集まって、さらに先生や大学職員の方々も10名以上きてくれるとのこと。学生の集まりがテスト後なのでどこまで伸びるかわからないけれど、150人くらいの会になればいいな。ぜひ盛大にしたいと思っている。

さて、いつ書こうかと悩んでいたのだけれど、今井先生について少し説明しておきたい。
案内のプロフィールを見れば、もと商学部長だったということはわかるけれど、学生にはピンとこないだろうと思うから。すごい学者だ、先生だってことは沢山あるのだけど、3点だけ挙げることにしたい。

1.今の商学部(一橋経営学)隆盛の礎をつくった
  もともと一橋大学は商法講習所からはじまった実学の大学で、昔から会計や金融論の魅力的な先生はいたのだけれど、いわゆる「経営学」が隆盛をはじめるきっかけを本学でつくったのは今井先生が商学部長のとき。そもそも今井先生自身が経済学者であることからもわかるけど、日本に「経営学者」が出てきたのはこの20年~25年くらいの最近の話。80年代に日本式経営が欧米で盛んに分析され、それらが逆輸入されて急速にグローバルかつ深みのある学問になっていったのだけど、日本側でそれらを牽引した野中、米倉、竹内、金子といった世界に通用する人材を思い切って次々に一橋の教官に登用し、商学部だけでなく一橋大学を「魅力的に」した仕掛け人である。今井先生に師事したり影響を受けた研究者は本学にとどまらず、神戸、慶応、青学はじめ多くの大学で活躍されている。

2.一橋大学に「ITを解釈し活用する」DNAを埋め込んだ
  これは今回の拡大会でアピールしていることでもあるけれど、コンピュータはじめ情報技術に距離をおかず、工学的な視点よりもっと広い視野でその解釈と活用を考える伝統をつくったのが今井先生だと思う。もちろん以前からサイバネティックス論などの講義はあったようなのだけど、もっと踏み込んで産業組織や社会と技術革新とのかかわりを精力的に論じ、若手研究者と共著を次々と著し、スタンフォード大などグローバルに意見を交わすなど積極的な活動の中で広がりをつくった。学内でもできたばかりの電算機研究会の顧問としてコンピュータの導入や活用に積極的で、その電算研の初代部員が有賀さん熊坂さん。また今井先生はバレー部OBで顧問でもあったのだけど、バレー部の後輩が吹野さんになる。今井先生はその後、このDNAを行く先々に埋め込んでいかれていて、スタンフォード大でもヤフー創業者のジェリー・ヤン氏が今井先生のもとを出入りしていたそうだし(ジェリーヤン氏の奥さんは今井先生の助手)、今は京都でスタンフォード日本研究センターで「シリコンバレーモデル」と「京都モデル」を交流させ、そして京都府中小企業センター所長として中小企業の育成をされている。先日聞いたら、京都の中小企業の経営者の勉強会でドラッカーを一緒に読んでいるとか。まさに京都でゼミをやっているんだ!そしてその京都にはいろいろ面白い人材が集まり、新しい機運が生まれてきている。

3.産学連携のコンセプトを打ち出した
 今や法人化でどこの大学も「産学連携」が合言葉なのだけど、25年前から今井先生はそれを訴えてきた(当時は「産学協同」とよばれていた)。大学を知的創造の中核として、社会に価値を生み出していかねばならないと、また、大学は政府に頼らずしっかりとした財政基盤を持ち、自分の足で歩かねばならないと言って、御自身もそれを実践しようとしてきた。実は米国の大学で産学連携の基盤が整ったのは1980年。つまり今井先生はほぼ米国と同時期に日本の大学もそうならねばならないと訴えた人なのである。

 しかし、今の学生諸君には信じられないだろうけれど、当時の大学で「産学協同(産学連携)」はトンデモないことだった。学問の府にカネモウケの発想を持込み、本来計測すべきではない大学の研究にモノサシを持込む発想であると、ものすごい反発をうける。それでも大学の中では、生え抜きでもあり(改革派が生え抜きというのは希少である)、実績も人望も厚い今井先生を応援する気運が盛り上がっていた矢先に、商学部長から学長選に出馬した今井先生を、あろうことか当時ほとんど形骸化した制度であった学生投票で「一橋大学の学生」自らが除斥してしまったのである(当時の記事が一橋新聞にあるので詳しくはこちらを参照)。つまり、米国の単なる物まねでない大学の競争力強化、知力国家への道を推進しようとした今井先生を石もて追うことで、当時の学生自らが大学の将来を閉じてしまった。日本のその後の停滞を象徴するかのような出来事だったかもしれない。今井先生はその後スタンフォード大に行かれ、今は京都に居を構えることもあって、以来国立キャンパスに来たことはないとか。今回の講演会は10数年ぶりに国立を再訪する機会になるそうである。

白状するけれど、実は僕はそのとき1年生で、今井先生に除斥票を投じてしまった一人である。あの時の様々な学生グループの異常なまでの盛り上がりは今でもおぼえている。過半数の学生の票を集めるため、体育会のクラブには動員がかかっていたし。おぼえているのは投票後、合気道部の先輩から稽古の後に部室で着替えながら、「除斥票を投じるのは君たちの自由だが、君らはそもそも今井先生を知っているのか?本を読み、講義をきいたことがあるのか?単に宣伝を鵜呑みにして情報に操られていない自信があるのか?」と言われたこと。当時今井先生は産研(現在のイノベーション研究センター)の先生で、学部ではゼミも講義も担当していなかったので我々は顔も知らなかったし、確かに本を読んだこともなかった。「確かにそうだ、僕は軽率だった」とあわてて『情報ネットワーク社会』(岩波新書)を買いに行った。当時の僕には難しかった(今井先生の本は決してやさしくはない)。でも僕が除斥票を投じた人は学者で、そして大きな体系を語る人であり、ミンセイとか寮生会とかが言うように「文部省との癒着」とか「カネモウケ」を優先するような人ではなさそうだいうことがわかって、強烈に後悔した。それから今井先生の本を読むようになり、またこうやってIT業界に身をおくことになって今井先生にじかにお目にかかる機会を得たのも何かの縁かもしれない。

このあたりの話も書きたいけれど、長くなったので続き(があれば)次回に。
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by haruyamablog | 2005-02-16 12:04
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