どこで聞いたのかなあ?ゲーム理論を勉強して余計になるほどと思った。
ある物事を決めたい、決めて欲しいと思うとき、そのプロセスよりも途中のアウトプットの作成に妙に力がこもってしまう。企画書だったり、プレゼンテーション資料だったり、モックアップだったり。絵とかデータとか感動的なコピーとかいろいろ工夫して時間をかけて・・・。 でも、むしろ「プロセスをどうデザインするか」のほうが、「決める」ことを目的とするならば重要なんだよね。誰にどういう順番で、何をしてもらうかを目的地までデザインする。もちろんこちらの思い通りなんて動いてくれない。何を考えるやらわからないし、そもそもプロセスの途中の人にとっては、流れてくるものにそれほど執着はない。だからけっこう面白半分に勝手なことも言うし、逆に「想い」がこもりすぎて重くなると、扱いに困っちゃってペンディングになることもある。だから、「分岐」次第でかなり意思決定は左右される。組織の中でも外でもそれは同じ。コンテンツに精魂込めて失敗するよりも、成功確率をたかめるために「分岐」に心を配ってプロセスが最適化できたほうが自分にも相手にもきっと効率がよい。 そういう意思決定のプロセスの糸を類推しながら、途中にどんな分岐を設けて、其々の人に何を判断してもらうか、そのためには何がコンテンツとして必要かetc.という視点が重要だなあって学んだのは銀行を辞めてからかもしれない。僕にもいつの間にかそういう姿勢・発想がそれなりに身についているのだろう。 でも、そうなってくると逆に時々ふと思うことがある。やっぱり「コンテンツ」そのものが持つ重力というか求心力ってあるよね。逆に絶対につながらない拒絶する力が働くときもあるはず。プロセスのデザインにばかり関心がいくのは、単に「ダンドリ上手の大人」になったってことなのかな?とはいえもういいオッサンだからいつまでも若者のようにもいられないし。
by haruyamablog
| 2004-10-03 23:40
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春山祥一 プロフィール
銀行員を12年やって2002年にITベンチャーに転職しました。
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